『Quartet カルテット』について

2001年に公開された袴田吉彦主演で公開された映画。監督はスタジオジブリ作品のアニメ映画、北野武監督の映画の音楽も担当した音楽界の鬼才『久石 譲』が初監督を務めた作品である。

『映像に音楽をつけるのではなく、音楽に映像をつけた』と監督は語り、物語の最初から最後まで音楽をテーマに構成されたストーリーとなっている。

あらすじ

物語のあらすじとして、相葉明夫、坂口智子、山田大介、漆原愛の四人は大学四年の夏、半ば強制的に弦楽四重奏団を組むことになり、コンクールに出場するもダイスケが演奏中に譜面を落とす、智子ががまんできずにくしゃみをする、愛の担当楽器であるチェロの弦が切れてしまうという、最悪の事件に見舞われ、結果は落選となってしまう。散々な結末にそれぞれが苦い思いをかみ締めながら卒業を迎えて、四人はキャンパスを去る。

それから三年後、

3年後、智子はポップス演歌のバック演奏者、大介は足立音楽学院の教官助手、愛は大学院に進みチェロの修行を積み、明夫は盛岡交響楽団のコンサートマスターを務めていた。

ある日、盛岡交響楽団に仙台交響楽団との合併の話が出てきたことにより、職を追われることとなってしまう明夫。再就職先として母校に顔を出すとそこに新東京管弦楽団の団員募集の告知を見つける。オーディションの日、参加者控え室にやってきた明夫はそこにいた智子と偶然にも顔を合わせてしまう。驚きを隠せない二人は会場へ飛び込んできた大介と愛を目撃することにもなる。

この時、智子はポップス演歌の職を失い、大介は助手を首になり、愛もチェロコンクールに落選するという事態に見舞われてのオーディション参加であった。

結局誰一人満足の良く結果にならなかったオーディションに、四人はそれぞれ気まずい空気の中お互いの事情を話せずにいた。その時、アンサンブルコンクールの募集ポスターを見つけ、優勝賞金400万円という。助手をクビになったことで臨月を迎えた同棲相手の遠山満子のためにも喉から手が出るほど欲しい金額だった。智子もコンクール再挑戦という思いに馳せるが、対する明夫はコンクール出場などどうでもよく、愛もチェロの才能に見切りをつけようと思い始めていた。

そこへ愛のライバルである大学院生の伊達響子が通りかかり、コンクール出場を4人に告げる。彼女が選んだ第一ヴァイオリンはジュニア時代の明夫のライバルであった芸大生の保阪であった。

挑発を取る響子は『相場君にはカルテットなんて無理だから・・・・・・』と捨てセリフを吐かれる始末、その後明夫と愛の心もコンクール参加を決意するのであった。

いざコンクールへ向けての練習を重ねて行く4人だが、考え方も技術もバラバラで、どうしても演奏がかみ合わない4人だったが、練習を兼ねたドサ周りのコンサートツアーを重ねていくことで徐々に一つへとまとまっていく。

コンクール当日、明夫を除く三人は会場で明夫が来るのを待っていたが、中々来ない。

これより少し前に、明夫は4人で受けたオーディションのを開催した楽団から、コンサートマスターを務めて欲しいという要請を受けていたのだ。

しかも楽団のコンサート開園時間がコンクールと同日同時間帯というのだ。

当然ながら、徐々に結束を高めつつあったこともあり、明夫は苦悩することになり、やがてコンクールの開始時間がやってくる。

明夫が来ないことで、もはや3人でやるしかないと決めたが、開始時間ギリギリで明夫がやってきた。

その後何とかコンクールを終了することができた4人、解散間際、明夫が3人に「来年の夏空けとけよ、俺達はカルテットだ」と言って、物語は終劇する。

『概要』

音楽家である久石譲さんが監督を務めたこともあって、物語の冒頭からラストまでまさにすべてにおいて音楽で埋め尽くされていた。

その数、絵コンテ含めて実に40もの作品が劇中で流れている。

日本屈指の音楽家としてもここで発揮しており、撮影1か月前に先に述べた40曲を作曲し、ロンドンの一流弦楽四重奏団バラネスク・カルネットとその40曲を収録。演奏シーンの現場では実際に音楽を流しながらの撮影、譜面を絵コンテ代わりに俳優・カメラの動きを決定すると言う異例の手法がとられた。近作で音楽は同使われるべきか、どう見せる=どう聴かせるべきかと、これまでになかったリアルな演奏描写、スキのない音楽配置は出演陣に課せられた弦楽器の演奏訓練、及び半端なクラシックの仕様に甘えないオリジナル曲の創作を含めて、映画音楽に特化した才人ならではの演出であり、当時までの日本映画にはなかった本物の音楽映画が完成した。

もちろんキャスト陣もフレッシュな若者四人が勤めており、相場明夫には袴田吉彦、坂口智子には桜井幸子、山田大介には大森南報、漆原愛には現役音大生であり映画初出演となる久木田薫がオーディションで選ばれる。脇を固める俳優陣も豪華であり、まず彼らを常に気遣っている教授・青山徹には三浦友和、明夫の父の親友でその石を息子に伝える藤岡俊吉には藤村俊二、さらに愛を見守る漆原家の家政婦・白川小百合を草村礼子と、大物がそれぞれ好演している。

当然ながら久石譲監督は音楽家であるため、映画監督としては処女作となるものの、作品には高評価を得ている。

有能な演奏者として将来を嘱望されながらも、偉大な音楽家であったなき父親の影を背負いながら生きている明夫、冴えない演歌歌手のバック奏者を務めながら、それでもヴァイオリンを捨てられない智子。同棲相手との第一子誕生間際に教職を失ってしまう大介、チェロの演奏に確信が持てないまま父親が経営する会社の破綻という現実にさらされる愛。それぞれが共に違った苦悩に経たされ、人生の転換期を迎えている4人が再会し、再び弦楽四重奏団を組んだとき、それぞれの中に大切な何かが浮かび上がっていく展開という、ありふれた、しかしそれでいてかけがえのない青春のひとコマを、流れるようなカメラワークとテンポの良い編集で一気に見せるドラマは、監督デビュー作とは思えないほどの滑らかな語り口をたたえ、久石譲監督の映像クリエイターとしての隠れた一面を鮮やかに映し出している。

4人の若い音楽家達の内面に深く踏み込み、各々の微妙な心の変化を余すことなく描くその手腕には、これまで仕事を共にしてきた名監督達との経験がフルに生きていると言っても過言ではないほど、むしろ名匠・巨匠の手法、感覚を間近で感じ取ってきたからこそできた仕事であったと、監督としても賞賛の声が上がった。

また映画スタッフには第一線で活躍しているスタッフが集結しており、久石と共に脚本を担当した長谷川康夫が共同で約一年かけて執筆し完成させた。撮影には阪本善尚が久石たっての希望で参加し、音響監督には当然のことながら音楽家として久石本人が兼任を果たす。編集終了後も出来上がった映像を見ながら音楽の追加作曲し、より緊密な作品の完成に尽力。

撮影は2000年8月から9月22日まで行われ、東方の砧スタジオ他、東京都内などで撮影が行われた。

夢と青春

青春群像劇としてはまさしくこの通りと言える本作は、監督が長年考えてきたストーリーというが、若者も苦悩と葛藤はよりリアルに、より鮮明に描かれている作品だ。

誰しも進路のことで悩むが、作品の主要人物たちは全員音大に通うということで将来的な方向性は一貫しているところがいい。むしろそんな音楽界の事情を知っている人が脚本と監督を手がけたからこそ、作品によりリアリティを組み込めたと言える。個人的にも4人全員が抱いているようなことを思ったことがある。いや、誰しもそういったことで悩んだことはあるはずだ。

才能があり将来を嘱望されながらも、中々結果を残すことの出来ない明夫、バック演奏者としてどうにも音楽を切り離せない智子、突然の解雇により生きる方法を探すのに必死になる大介、自分の才能に疑問を持ちながら、ただ流されるままに勉強を続けている愛、誰しもどこかで直面するようなことばかりだ。

明夫のように、幼い頃からその溢れる際を開花させながらも自分の描いていた道を思うように辿れず、現状に苛立ちを隠せないでいる葛藤、智子のどこか執着気味になりながらも自分が目指していた夢へともがきながら突き進んでいる姿、守るべきものを守るために今自分にできることをひたすらやろうとする大介のひたむきさ、才能という存在をうまく感じ取ることの出来ず、ただ現状に甘んじている愛のたち位置、どれも現代の若者が必ず一度は悩むものばかりだ。

もちろんはじめから進路なんて決まって、こういうことをしたいんだと言う人には無縁の話だろうが、特別な何かをしたいというものをもっていない人にとっては生きていくうえでの命題ともいえるテーマだ。

『夢』を抱く人と、抱かない人では生きていく上での原動力も違ってくるだろう。

時に最近の中高生くらいの年代は夢を持ったことが無いという子が多いという。でもそれは10代の少年少女を問わず、社会人たる人もいるはずだ。

今は生きることで精一杯な人も多く、長引く不況の中で誰しも明日の生活を迎えるので必死になっているのが今の日本といえるだろう。将来を見通すものがない、ただただお金を稼いで食べると寝るを繰り返し、そして無為に年を重ねていく連鎖はむしろ日常生活ではありふれている。

『夢なんてもっても叶うわけない、あきらめた方がいい』と、現状維持を最優先にして、苦しまない方向へと自ら進んでいくのは残念だが人間の本能的な行動と取れる。

いつの頃からか、現実の辛さに直面して、挫折を経験して、やがてはやる気をそがれていき、ついには投げ出して、諦めてしまうという結果になってしまう。ないとは言えないこの過程は、もしかしたら居間の人々には多くあるのではないだろうか。

また初めから、辛い道を歩むより安全で平淡な道でいいと、楽なほうへと進んでいこうとするのは、生物の生存本能から発せられる危険信号のから基づく行動と考えれば、説得力の一つもあるかもしれない。

しかしそれで本当に人間として満たされるものかと聞かれたら疑問符を浮かべてしまう。辛いことを経験せずに生きていこうとすれば確かにそうした道のりもあるかもしれない、しかし人間的に幸福と思える生活を送っている人の中でいったいどれだけの人がそうした茨の道を経験しないで、既に用意されたスターダムを駆け上がるような人は、何人もいないだろう。お金があれば確かに生活に困ることはないだろうが、お金だけで人間的幸福を手に入れられると言うのは中々に難しいとこだ。

生活という、常に平凡になりがちなものを刺激的にして、毎日を活力溢れるものにするのもたやすいことではない。まして人には個性というものがある、誰かがこうしているから自分もこうすれば幸せを感じられると思うことはまずない。

では何が必要になってくるのかと聞かれたら、やはり生きていくための原動力となるやりがいを見つけると言うことではないだろうか。

それがひいては『夢を持つ』ということに繋がるのではないだろうか。

作中の明夫たちは、それぞれが音楽という一つの夢を持って生きていく中で、世間の荒波にもまれて葛藤しながら行き続けているものの、やがて四人で結成した楽団で、揉めながらも一つにまとまっていく姿はどこか観客達に熱い情熱を与えてくれる。

監督の深い暇では読むことは出来ないが、生きるための原動力として夢を持ち続けると言う点では、その姿に心強く撃たれるものがある。

作中の彼らの夢に向かって邁進している姿はなんとも美しい、そして彼らはもう一つ誰もが憧れるようなものを最後に手に入れるのだ。

友情という、人と人が繋がるための見えない人で結ばれた絆だ。

文明の利器ともいえる携帯の発展する今日では、日常の会話ツールとして携帯電話は必須アイテムとなっている。中でもスマートフォンアプリ『LINE』が最近無料通話とメール機能が利用できるソフトが今日登場して、無料通話としては利用できる最大手『Skype』と並ぶほどに、最近ではそんなアプリを利用しての人との会話が主となっている。

どこでも話ができると言う点では非常に便利だ、出先でも気軽にどこでも連絡できると言う点で人の生活の便利さは日々増していると言っていい。

しかし人との会話は、そうして携帯越しで全てが通じることはない。正面で向き合って話をすることで、話をしている相手の表情を見て、感情を読み取り、共有することができる。

携帯という遠距離からの会話では、声色でその人の感情を読み取ることになるがそれはとても悲しいことだろう。

近場にいないとなれば話は別だが、そばにいるにもかかわらず機械に頼って相手の顔を見ずに話す姿は、どこか物悲しい姿になる。

現に、無料通話アプリを利用する中高生の中には、挨拶をその中で済ませているということも起こっている。

朝と昼と夜、その時折に利用する会話の第一声を全て現実では使用しないと言うのを、筆者は信じがたい光景だと思う。

筆者の両親はそうした挨拶を交わすことで人とのつながりが必ず生まれると言うことを厳しく教えられたため、よほどのことがない限り自分から挨拶をするように心がけている。

挨拶をすることで相手が気持ちよく一日を過ごしていけるような思いになってくれれば、それだけで挨拶をするということにも十分すぎる意味が生まれるはずだ。

会話をするということは、人が人と繋がるために必要な能力だ。話さなければ何も伝わらない、表情を見なければ何も伝わらない、心を読んで全てをさっせるなんてことは不可能だ。人の心ほど難解なものはない、常に流動して、変化の激しい存在は人によってもその流れ方も違ってくる。

この人間の心を映像として表現するとなれば、時間的な関係上不可能だ。だがこの映画はそんな主要キャラたちの感情を表現している場面が多々ある。

彼らは楽器の演奏を通じて、それぞれが伝えたいことを音に乗せている。

しかし劇中の彼らは技術も考え方もバラバラなために、常に衝突を繰り返してた。口論を繰り返して、何度も演奏をこなしていくことで、お互いがそれぞれどんなことを伝えたいのか伝わり、徐々に一つにまとまっていく。

ラストの、明夫がコンサートマスターとしての自分を取るか、智子たちとのカルテットを取ってコンクールに出るか、その天秤に悩みつつも、最後には四人での演奏を選んだ。

コンクール自体は惜しくも優勝を逃してしまうものの、明夫は来年もまた演奏をしようと約束を取り付けて、それぞれが再び各々の道を歩み始めるエンディングは、充実感を与えてくれる。

熱い友情を表現するために楽器演奏という手法は実に見事なものだろう、音楽と言っても曲の捉え方は人それぞれだ。感じ取ったように演奏することで様々な音の表現が生まれる。音が重なり合うことで、様々な色を帯びた楽曲が息づいて物語を演出する。

彼らは音楽を通じることによって一致団結することが可能になった。この作品はこうした人とのつながりを表現する映像的表現としては実によくその感情劇を披露できている。

彼らは音楽を通して繋がり、友情を繋ぐことができた。そしてそれが何者にも変え難いものだということを伝えていると思う。冒頭こそ友情とは無縁の彼らだが、ある一つのきっかけから葛藤と戦いながらも結ぶきっかけとなる音楽で彼らは一つになっていた。友情というものは人生を豊かにする要素の一つだ。この作品の見所はこの二つと言えるだろう。